狩場の休息カルル・ヴァン・ロー、1737年
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現在、ネットでタイ(Tie)の起源を調べてみますと、ネクタイが17世紀にルイ14世を守るためにフランスを訪れたクロアチアの兵士が首に巻いていたスカーフがその起源(現在、フランス語でネクタイがクラバットと呼ばれるのもそのため)で、ボウタイがその後の19世紀後半にイギリスでクラバットの結び目のみを残したものと、多くのボウタイを扱っているショップのHPに孫引き状態で掲載されていますが、1737年に描かれたこの絵はその説が間違いだということを如実に示しています。上の絵の上をクリック、さらに出てきた絵をもう1度クリックしてそこにいる人物たちの胸元をご覧下さい。
フランスの貴族達を描いたカルル・ヴァン・ローのこの絵に登場する男性達の胸元を見ると、明らかに現在の手結びボウタイと全く同じ形状のリボンが結ばれています(結ばずに垂らしたままの男も見られます)。しかも、男性だけでなく、金色のボウタイを締めた女性も見受けられます。現在のボウタイと異なる点は、このタイの首の後ろ側も、当時、流行っていた長髪をこれまた大きくリボン結びで束ねていて、前後とも言わばダブルボウタイになっているようです。
ここにおいてボウタイの起源は、19世紀後半のイギリスではなく、それより150年近く前の少なくとも18世紀前半のフランス貴族社会ですでに生まれていたという証拠がここに歴然とあるのです。文献で調べると、すでに17世紀のルイ14世統治のころから生まれていた雰囲気があります。つまり、ネクタイと発生時期はほぼ変わらないのです。
衣装を止める方法としてのボタンやホックの登場よりも遥か以前から用いられてきた紐のリボン結び。この絵に見られるこれらの貴族たちのボウタイが優雅で粋なのは、Tieの言葉が示すように紐をリボン結びしているしているからであって、その微妙な結び上がりの個性とボリューム感が醸し出すエスプリなのであり、こうして必然的に結ぶように生まれてきたボウタイは、後世に登場するような左右完全対象で薄っぺらく、結ばない"PRE-TIED"蝶ネクタイでは決してないのです。